サイト内索引表(さ行 ghi)


当サイト内で掲載された関連資料を簡単な説明を加えて(さ行を)リストアップしてみました。参考になれば幸いです。
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– さ



– し

杖術/神道夢想流杖術(じょうじゅつ/しんとうむそうりゅう-)

杖術というのは、杖(じょう)と呼ぶ木製の棒を武器に剣(木刀)と対峙して型試合を行う武道です。宮本武蔵と同時代の夢想権之助が創始した「神道夢想流杖術」を起源とします。約四百年の歴史を持つ福岡発祥の日本古来の武道です。 長さ4尺2寸1分(約128cm)、径8分(約24mm)の白樫の棒が標準ですが、本来は、立って足下から胸の高さまでの長さが良いとされています。太刀は3尺3寸5分(101.5cm)、柄の長さ8寸(24.2cm)の白樫の木刀を使用します。

全日本剣道連盟杖道形」は、一人行う基本技十二本、二人で攻防の稽古を行う杖道型の十二本です。形稽古の太刀を「打太刀」(うちだち)、杖を「仕杖」(しじょう)と言います。気合は打ち込みで「エイッ!」、突きで「ホォッ!」と力強く発声します。 剣道連盟の形練習(試合と段級位制があります)、及び古流杖術として「神道夢想流杖術」を各々道場単位で練習・稽古をしています。1974年(昭和49年)から全日本杖道大会が開催されています。

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杖棒故實 (じょうぼう こじつ)

著述者 平野国臣
第十三代統の平野吉蔵能栄の次男
国文学者
生年 文政10(1827)年
没年 元治元(1864)年7月 刑死(斬首刑)
享年 37歳
平野國臣伝記及遺稿集「杖棒考証(草稿)」にて収録

平野国臣

杖術、拳法を父(平野吉蔵能栄)に学ぶ。また、国文学者でもあった。
黒田藩を脱藩し、安政の大獄(安政5年/1858年)が始まった頃、下関まで落ちのびていた僧月照を鹿児島まで連れていったその後から、彼の名が史上に出て来ることになる。

下に和歌二首を記す。

我が胸の 燃ゆる思いに 比ぶれば 煙は薄し 桜島山

疵つけず 人をこらして 戒しむる おしえは杖の 外にやはある

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剣道連盟における杖道の称号(-しょうごう)

師範(しはん)

流派や道場から門下生を指導する者に対して与えられる資格、称号である。師範の資格を有することで流派を名乗って道場を開き、弟子をとることを許される場合が多い。
ただし、師範の制度や地位は流派によって差異がある。下位には師範代、準師範が置かれる場合がある。

日本剣道連盟杖道部会の称号

杖道範士(-はんし)
剣道連盟杖道における称号の第一位。称号の下に段位を付す。

杖道教士(-きょうし)
剣道連盟杖道における称号の第二位。称号の下に段位を付す。
教士は、剣理に熟達し、識見優秀なる者に対して授与。
錬士七段受有者で、七段受有後2年を経過し、加盟団体の選考を経て加盟団体会長より推薦された者。

杖道錬士(-れんし)

剣道連盟杖道における称号の第三位。称号の下に段位を付す。

称号の沿革

明治28(1895)年、小松宮彰仁親王を総裁として大日本武徳会が発足。同会は精錬証という表彰制度を定め、毎年の武徳祭大演武会において優秀な武術家に授与した。
明治35(1902)年、大日本武徳会は「武術家優遇例」を定め、「範士」「教士」の2称号を新設した。これにより精錬証は教士の下位となった。
この会は日本の武道総本山として剣道、弓道、柔道、居合術、杖術、薙刀術、槍術、銃剣術など各種の武道家に教士号を授与していた。
昭和21(1946)年、大日本武徳会は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)指令により解散したが、その後発足した全日本剣道連盟や全日本弓道連盟などが大日本武徳会の事業を継承し、称号を授与している。

ただし、武道の称号には学位のような法的根拠や規制がなく、あくまで民間資格であるため、大日本武徳会の事業を継承する財団法人のほかにも小規模な任意団体なども授与しており、更には個人の自称に近いものまである。

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– す



– せ



– そ